覚え書き  狂言「花子」
先日たまたまBSプレミアムで、多分再放送だと思いますが、古典芸能に生きる若者を題材にしたドキュメントを見ました。途中からでしたので最初の文楽の部は見落としましたが、歌舞伎では亀治郎さん、狂言では茂山宗彦さんがメインでした

特に興味深かったのが狂言師の茂山宗彦さんで、日頃は情報番組のコメンテーターとして週一でお目にかかるお馴染みの人ですが、大曲の『花子』に初挑戦するにあたり、その心模様というか葛藤というか、彼の持つコンプレックスも含め、苦しい胸のうちが垣間見え、数年前の朝ドラ「ちりとて」の小草若役は、ほとんど地で行ってたんだなー・・・と思ったほどでした。またこの『花子』というお題、歌舞伎では『身替座禅』という舞踊劇で大好きなお芝居なのです。それで御本家の『花子』に一層興味を持って番組を見ました

私は歌舞伎・文楽は多少馴染みがありますが、狂言はよく知りません。過去の鑑賞経験は古典芸能鑑賞会で数回程度、予備知識もまるでありません。ただ、歌舞伎では狂言写し(原本が狂言から)の題材、松羽目物の舞踊劇の多くが能・狂言から頂いたもので、もちろん歌舞伎仕立てになっていますが、そういう意味でならほんの少し馴染みはあるかな、という程度です。思ったままに書きたいと思いますので下調べしていませんから、覚え違いや書き間違いがあるかもしれませんがご容赦ください。お気付きの点をご指摘・ご訂正いただけたら、自分にとっての勉強にもなり、とても有難いです

番組はドキュメントでしたので、宗彦さんの『花子』演じるにあたっての、稽古風景、苦心、苦悩の面がクローズアップされていたように思います。またそれらを見ていて、古典芸能で言われる閨閥や継承について、うまく表現できませんが、一家としての結びつき、団結力というなら・・それは狂言の家のほうが(歌舞伎の家に比べて)断然強いんだな、漠然とですがそういう印象をもちました。歌舞伎の家はどこかしらクールな感じがいたします

その道で名のある家に生まれ、本人の意思と関係なくすでに定められた道がある・・・それが実際ですから大変重いことでありましょうが、本当に嫌で不向きなら他の道に進むことは出来るでしょうし、今の時代、周囲だって「こりゃあかん」と思ったら無理に止めはしないでしょう。嫌で嫌で仕方なく稽古に身が入らず親に反抗したり随分寄り道も遠回りもしたそうですけど、宗彦さん、『花子』に挑戦なさるまでに励まれて、それはどんな道も続けてみないと分からないこと、続けてきたから分かることがあったんだろうと思います

宗彦さんの『花子』がどうだったか、映像で一部を見ただけなのでよく分かりませんが、お客さんの反応が素晴らしかったので、ご本人的にはこれからの課題が多そうなことを仰ってましたが、十分な手応えを感じられたようで、今後ますます精進なさりご活躍なさることでしょう。間違いなくそう感じました。番組を見終えて、とても清々しい気分になりましたので、ちょっと書き残しておきたくなりました
  • 2011/08/21 (Sun) 13:58:31
便乗して歌舞伎も
先に触れましたが、狂言『花子』を歌舞伎に写したのが『身替座禅』です。こちらのほうなら得意中の得意です(笑)。大好きな演目ですので、このお芝居(舞踊劇)について、過去の想い出もふくめて、歌舞伎的につらつらと書いてみます

身替座禅の筋は、夫の浮気がばれて妻にとっちめられる、ただそれだけの話です。単純ですが、ただ単純で面白いだけではありません。原本の狂言で『花子』は秘曲に値する重習と言われています。単純な筋であっても、細やかな男女の真実が巧みに描かれていて、それは時代を越えて普遍なもの、だからこそ何度見ても古くささを感じないのでしょう。演出も素晴らしく、ゆえに演者にとっては至難の芸であり、歌舞伎では舞踊劇ですので踊れない人には無理、ということも付け加えておきます。また個人的な印象を申しますと、右京(主役)は円熟の芸域の役者、そこそこ枯れた人に演っていただくほうがしっくりしていて好みです。若い人が演ると生々しくなってしまいます。また件の愛人花子はついに舞台へ姿を見せないのですが、それが心憎い効果となっています

歌舞伎は(狂言でもそうかもしれませんが)、入りの芸・出の芸などと言われまして、花道の出入りが見どころ、役者にはしどころであり、眼目でもあります。ここでは右京が愛人花子の許へと花道を急ぐ足取りを「浮進の入」といい、色事を終えて腑抜で戻ってくるのを「夢心の出」といいます。情事の前後における男の性(さが)とでもいいましょうか、なんとまぁ~という感じで、恥ずかしいほど如実に示している訳で、見物には密やかに、それでいて猛烈に面白くて受けるシーンなのです。このあと大変な事態が待ち受けてることを見物は知っていますから、見ていて多少気恥ずかしかったりもいたします(汗)

『身替座禅』は新古演劇十種として音羽屋の家の芸です。だからというのではありませんが、過去に観た中で、私が一番と思う右京は菊五郎さんでした。人気舞踊ですので多くの役者も演じています。他には、先代勘三郎・当代勘三郎(当時勘九郎)、猿之助、仁左衛門、三津五郎、故富十郎、故松緑、いろんな右京を観ましたが、堅さがあったりくだけ過ぎたり、あるいは平凡すぎたりと一長一短がありました。受けを狙う喜劇舞踊という捉えかたもあるのですが、狂言舞踊として品格を保つのは絶対必要です。菊五郎さんの右京は、まず第一に品の良さ、華やかさ、大らかなのどかさ面白さ、扇扱いと踊り分けの巧みさ、まさに独壇場という感じで絶品でした

怖い(?)奥方の玉の井ですが、玉の井は普通立方が演じることになっていて、私が見た中では團十郎、左團次が多かったように思います。三津五郎も観ました。そうそう、吉右衛門の玉の井、これは本当に不気味で怖かったです・・(汗)

一番印象に残る玉の井は、故人になりますが澤村宗十郎さんですね。宗十郎さんは女方で古風な顔立ち、時代物の女房役など最高でした。同時に世話の悪婆もお得意だったし幇間のようなはんなりした役や粋筋も巧みなこと。もともとが江戸和事の人で、谷崎が贔屓にしていたそうですよ。私も大好きでした。もともとお加減の優れない方でしたが、仁左衛門襲名の後ぐらいからあまり舞台に上がられなくなり、復帰を待っていましたので本当に残念に思いました。ちょっと話が寄り道しましたが・・

その宗十郎さんの玉の井は、怖いだけじゃなくどこか可愛らしさがあって、右京への愛にあふれていました。強いばかりでなく時々ちらつく女心。浮気を許さぬ悋気を恥じたり、優しさを見栄張ったり、腹が立って腹が立って堪らないのに、自分の夫が見映え良い男だと思えば嬉しかったりするわけです。男の浮気心と女の虚栄心、今も昔も変わらない男女の機微ですね

他にも狂言から歌舞伎へ写した演目は多く、『靭猿』『馬盗人』『太刀盗人』『茶壷』『釣女』『棒しばり』などなど数多くあります。歌舞伎芝居の性質上、色気の部分が強くなるのですが、いずれにしても先に述べたように、狂言の品格を保つことが歌舞伎写しにおける絶対必要条件と思うのです
  • 2011/08/21 (Sun) 14:02:14

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