芝居雑感
二月の松竹座は昼夜とも通し狂言という珍しい筋立て。昼は時代物、夜は世話物、昼のお役の六助は仁左衛門さん初役だったらしいです(これはとても意外でしたが!)。夜の「盟」の源五兵衛は今回で2度目、三五郎役はこれまで3回演じているらしいです

思いつくままにつらつらと書いてみます。ときどき話が前後してもご容赦を(^-^;)
なお、ここに書くのに、確認のために調べるということを一切してませんので、間違いや思い違いがあってもご容赦ください(~△~ゞ

夜の部の演しものは南北の傑作「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」です。私が初めてこの芝居を観たのは十数年前、東京で通しで観ました。その折の配役、特に重要と思われる役を記しますと・・・

源五兵衛   幸四郎
小万      雀右衛門
三五郎     勘九郎(現・勘三郎)
若党      染五郎      


今回の配役は・・・

源五兵衛   仁左衛門
小万      芝雀
三五郎     愛之助
若党      薪車     

でした

あらすじはスッ飛ばします(手抜き)
というのも、あんまりなので、簡単に記しますと、「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」、「仮名手本忠臣蔵」外伝の性格を持つ世話物で、いわゆる「綯い交ぜ(ないまぜ)」です

『忠義のため、そうとは知らずに主を美人局の騙りに掛け、殺人鬼にしてしまった三五郎と小万。復習の鬼と化し、殺人を重ねる主の数右衛門(源五兵衛)。真実が全てが明らかになり、三五郎は主の罪を背負って切腹、正気に戻った数右衛門は晴れて仇討ちに加わる』という内容(簡単すぎる?)
  • 2011/02/27 (Sun) 01:57:59
盟三五大切
贔屓役者は好みの分かれるところですので、いろいろご意見はありましょうが・・・ここは私のサイトなので、毎度のことながら偏見に満ち満ちて好きに書かせていただきますね(爆)

十数年前に観た時、それはそれはかなり素晴らしくて良い舞台でしたが、源五兵衛の影が薄くてやや不満、「あれれ?主役は勘九郎さんやったんか・・」と思ったほどでした(どんだけ言いたい放題)が、今回の主役は紛れもなく源五兵衛の仁左衛門さんでした。ニンでしたねぇ。芸者小万に入れあげてる女に弱い図は、つっころばし風の和事で演じ、これも仁左衛門さんの得意とするところ。五人切りでは「伊勢音頭恋寝刃」の貢が重なり、殺し場では「女殺油地獄」を思い出しました

歌舞伎でいうところの「悪」に「色気」がなくては面白くありません。「悪」=「色気」でも良いです。また歌舞伎の「悪」は美しくないといけません。「悪」が「悪」とは限らないところも歌舞伎の面白いところです。「色悪(いろあく)」という言葉があるぐらいですもの。「悪」も「狂気」も美しさと魅力に満ちていなくてはなりません


「盟三五大切」は南北の傑作で、世話物の中でも生世話と呼ばれる芝居ですが、凄惨な場面が多いからでしょうか、正確なところは知りませんが大歌舞伎ではあまり掛からないように思います。確かに贔屓役者が惨殺されて首を刎ねられる生々しいシーンなど観たくないのがファン心理というものかもしれません。これもまた歌舞伎らしいというべきか(微笑)
  • 2011/02/27 (Sun) 02:03:42
盟三五大切
源五兵衛が、持ち帰った小万の首の横で茶漬けを食べるシーンでは、ちょっと可笑しみの部分もあるにはあるのですが、大事なことは源五兵衛の狂気の有様で、仁左衛門さんのそれは鬼気迫るものが感じられて、役者の格というものでしょうか、本当に良かったです。そして美しかったです

小万の芝雀さん、あまり関西ではお目にかかれないですが、ずっと観たいと思っていて、今回はたっぷり観られて満足でした。十数年前に、父・雀右衛門さんの小万を観てますので重ねてしまうところがありますが、ほんと声も姿もお顔もよく似てらっしゃるので、自然と重なってしまうの仕方ないですよね。深川芸者(で合ってるかな?)って、昔はああいう男勝りで独特な喋り方をしたのかな、などと思いながらセリフを聞きました。源五兵衛の怒りと狂気に恐れおののく姿・・・たまらん感じで凄く良かったです(*^o^*)v

さて、三五郎役の愛之助さんですが、やや精彩を欠きました。インフルエンザの病み上がりでちょっと痩せてるように見えました。疲れが出る時期だったのかセリフの切れもイマイチ。芸能マスコミに騒がれたせいじゃないよね?(毒)
それと色気が全然足りませんでした。歌舞伎の濡れ場なんて、たとえば男と女が背中合わせで寄り添うだけとか、指先を絡めてジッと見つめるだけで成立してしまうものですが、実際に夜船で抱き合って縺れながら倒れこんでいて何の色気も感じさせないとなると、厳しいけど全くダメってことでしょう。過去に観た勘九郎さんと比べられたら愛之助さんも辛いところでしょうけど、やはりまだまだと言わざるを得ません。私、愛之助さん応援してて、励ます会にも何回か出席しました。彼はこの先ぐんぐん良くなりますよ。世話物の難しさと面白さ、つかんで欲しいと思いますね

この日の同行者が親しいからというのでは決してありませんが、秀逸だったのが若党役の薪車さん。実直で主を思う気持ちに溢れてて、最後に捕らえられて連れて行かれる場面では涙が出ました。お名前だけは知ってたんですが、薪車さんをしみじみ観たのは初めて。いい役者さんです。これからは熱心に応援しようと思います
  • 2011/02/27 (Sun) 02:08:00
盟三五大切
本日これ切り

「ほんじつこれぎり」と読みます。歌舞伎ではときどきこういう幕切れをすることがあります。同行者が「え?なに?なんで?終わりぃ?」だったので、「イヤホンガイドで説明しなかった?」と訊ねたところ、ガイドで説明はなかったらしい。。さて、どう説明してよいやら、ガイドでも説明し辛いのだから非常に困ります

だいたいは「いざいざ、いざ~~!」と刀を合わせるシーンで急に場内明るくなり、役者がピタッと正座で平伏して「本日これ切り」で幕になることが多いのですが、ざっくばらんに言うと、切り合って決着をつけるまで演じるのは野暮、というか、どっちが勝っても負けたほうの贔屓客は気分が悪い、とか、もっとざっくばらんに言えば、これ以上演っても面白くないから面白いところでやめとこか、みたいな。いやマジでそんなところです。説明になってるのかな(汗)

歌舞伎ってめちゃめちゃ人間臭いお芝居と思うのですよ。私は(^-^)
  • 2011/02/27 (Sun) 02:12:52
阿古屋について
東京の一月初春興行では玉三郎さんの『阿古屋』が話題になりました。前々から阿古屋について書いてみたいと思っていたのですが、うまく伝える自信はなく・・・ただこの芝居にはちょっとした思い入れがあるので、自分なりに書いてみます

大阪松竹座が開場してまもなく『阿古屋』がかかり、観劇の機会を得たわけですが、故歌右衛門丈の『阿古屋』を録画で観た時の胸が苦しくなるような切なさが忘れられず、ただ現在阿古屋を演じられるのは玉三郎さんだけですので、早く芝居が掛からないかなと心待ちにしておりました

松竹座開場以前の大阪は歌舞伎興行は極端に少なかったため、私は芝居に飢えていたこともあって、開場から数年間、暇を作っては連日せっせと小屋通いしておりました。待ちに待ったお芝居その時の配役は、阿古屋=玉三郎、重忠=孝夫(現仁左衛門)、岩永=勘九郎(現勘三郎)という最高のものでした

阿古屋は、琴・三味線・胡弓の三曲を弾きますが、その合間合間に景清への想い、悲しく苦しい胸のうちが語られ、こちらの胸までズシンと沁みてくるのです。
私は恥ずかしながら最初の琴唄がはじまるともうダメで、涙でボロボロになります。それは何度観ても同じで、今も阿古屋にメロメロです(汗)

重忠の温情ある言葉には、申し訳なさを感じ消え入りそうな阿古屋

『影と言うも 月の縁
  清しと言うも月の縁
   景清き名のみにて
    映せど 袖に宿らず』

影といえば月の影、清しといえば月の光、いずれも我が袖に宿るのに、私の景清は名ばかりで少しも留まりはしない・・景清の行方を知りたいのは誰よりも私なんだ、と訴えているわけです。阿古屋はこのとき身重なんですよね、辛いな。。

そんなふうに、三味線・胡弓へと続き、演奏が終わって阿古屋は無罪放免となりますが、詮議役の重忠には、阿古屋に対してある種の尊敬の念が生じたようです。阿古屋ほどの女に、これほどまでに愛されている景清という男、その興味と印象は詮議前とは全く違っていた、そんなふうに思います

大阪松竹座の阿古屋の翌年だったか翌々年だったか、記憶曖昧ですが、今度は京都南座で阿古屋がかかりました。この時の重忠は團十郎さん、岩永が段四郎さん(自信ないが~汗)だったように思います。今度いつ観られるか分からないので京都へせっせと通いました(笑)

あともう一つの阿古屋は、シアタードラマシティでの玉三郎さん舞踊特別公演の一幕で、母や妹を誘って行きました。こちらの阿古屋はお芝居ではなく、演奏だけなのですが、設営は舞台の中央に屏風が一双設えてあるだけで、その前で玉三郎さんが阿古屋の拵えで三曲を演奏するというものでした

茶屋の奥座敷で演奏を楽しむ雰囲気で・・・という玉三郎さんの趣向。なかなか面白い試みでした。また観たいなぁ~~
  • 2011/02/27 (Sun) 02:48:33

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