芝居MEMO
舞台や中継も含めて、印象に残った事柄やその時々で感じたことを、これからは綴っておこうと思います。独善的なものになるのは間違いないですが皆さまの感想やご意見を、お聞かせいただけると嬉しいです。芝居話で盛り上がれたら楽しいな♪と思います。どうぞよろしくお付き合いくださいませ
 
今月の松竹座は「二月花形歌舞伎」と銘打って、注目の若手役者が揃いました。こちらの気分はすっかり保護者なんですけど、これは毎回そう思うのでして(笑)、見終わった後は晴れ晴れとした清々しさが感じられ・・・これも毎回同じような感想で、若手に甘いと言われそうですがファンとしては十分満足致しました
  
おかしな表現かもしれませんが、私は今まで若手役者に対する「期待」が「外れた」とか「裏切られた」と思ったことが一度もありません。それほど多く観劇の機会はありませんが、みんな観る度に確実に成長しています。それは切ないぐらいの自覚と厳しい修行があってのことと思います。早熟の子、晩熟の子、いろいろいますが、どの子も鍛錬の跡が伺えて嬉しくもあり、胸が熱くなったりもします

 
--------------------------------------------------
 
世阿弥『風姿花傳(芸上達の指南書と言われている)』の一節より
 
『ちごといひ、聲といひ、しかも上手ならば、なにかはわるかるべき。さりながら、この花はまことの花にあらず、ただ時分の花也。されば、この時分のけいこ、すべてすべてやすきなり。さる程に、いちごの能のさだめは成るまじき也。この此のけいこ、やすき所を花にあてて、わざを大事にすべし。はたらきをもたしやかに、音曲をも文字にさわさわとあたり、舞をも手をさだめて、大事にけいこすべし。』
 
一時、年より自然に出てくる時分の花(じぶんのはな)であるといい、その時期の大切さを世阿弥は説いています。大輪の花を咲かせた子もいれば、含み咲きの子も、まだ幼い蕾もあり・・・可能性を秘めた若者たちに見物で付き合うのは、なんとも楽しみなことです
 
  • 2009/02/07 (Sat) 16:40:08
夜の部 一、吹雪峠(ふぶきとうげ)
■あらすじ ※あらすじは松竹HPよりコピーしています

 猛吹雪に閉ざされた山小屋へやっとの思いで辿り着いたのは商人姿の助蔵とおえんです。今は夫婦になっているこの二人ですが、おえんはもとは助蔵が無頼漢だった頃の兄貴分、直吉の女房だった女。密通の末駆け落ちして、今は世をしのぶ二人であり、いつも直吉へのおびえがつきまとっています。ところが、こともあろうにその直吉がこの山小屋へやってきます。まさかの偶然に恐れおののく二人でしたが・・・。
 極限に追い詰められた三人の心理描写がみどころの新歌舞伎を、愛之助の直吉、獅童の助蔵、七之助のおえんと、いずれも初役で演じます。 

--------------------------------------------- 
 

「吹雪峠」は初めての芝居でしたが、新歌舞伎というものは、設定・筋・音などだいたいが似かよるものが多く、この芝居は以前どこかで観たような・・・と記憶をたぐったら、あまりにもそっくりな谷崎潤一郎作「お国と五平」を思い出しました。観たのは10年以上前のことで、この時は福助・染五郎・翫雀でした。話が寄り道しますが、その頃の私は三日と空けず芝居通いしてまして、同じ芝居を5回も10回も観ては、「○番目で良いのに当たったわ」などと言っており、どうしてそんなに芝居にハマってしまったのかを説明するのは難しいのですが、ほとんど病気というしかありません(爆)

これといった特徴のない「お国と五平」をよく憶えているのには、また別の話がありまして、丁度芝居の中日に行ったら、その日の染五郎はセリフが抜けるわ噛むわ声は引っくり返るわと散々で、とうとう最後まで大崩れを立て直すことが出来ませんでした。体調悪いのか?と思いましたが、翌日になって過去のスキャンダル発覚で芸能マスコミに囲まれて言い訳に四苦八苦していたからと分かりました
おーい!シッカリせんかーい!!(怒)
私の叫びが届いたとは思いませんが、千秋楽にはかなり良い芝居に仕上がっておりました。そのようなことがなくても、このような新歌舞伎は、特にセリフの遣り取りが主な心理劇は演じる側の回数が重なって余程演じ込まないと、見物には伝わりにくいものかもしれません。本当は一度で伝えられたら最高と言えるのだけど。。。
 
で、「吹雪峠」です(話が寄り道しすぎですね・汗)
ん~、やや微妙な・・・というのは、心理描写の点で不足かなと思いました。不義を働いた二人、つい先程までは睦ましい二人だったのに、命をとられるかもしれないとなった時、互いを罵り悪人にして自分は助かろうと命乞いしますが、このシーン面白可笑しくはありましたが、ややドタバタしすぎな感じがしました。ドタバタで笑いをとるか、憂いを効かせて心に訴えるのかで、この芝居は大きく変わるし深くもなると思います。脚本の眼目は後者だと思う。要するに難しい芝居なのです。それにチャレンジしたことは評価したいと思います
 
この芝居の獅童を分かり易く説明しますと、何年か前のNHK大河「新撰組」に出演時(役名忘れた)近藤勇の周辺をうろちょろする能天気で弱っちいダメ男を獅童が演じましたよね?完全に役表現がアレとかぶってました。すっかり忘れていた新撰組を思い出したぐらいですから、そっくりそのままという感じです(汗)
 
獅童は幾つかセリフがウニャウニャと流れてしまうところがあって惜しかったのだけど、これは千秋楽に向けて改善されて行くと思います。またそうでなければなりません。彼に望むことは、何があっても歌舞伎から離れないでいて欲しい、ただこの一点ですかね。このような若手歌舞伎に中心メンバーとなって参加することは彼には大きいと思います。意気込みは十分伝わってきて、やはり歌舞伎の子だなぁ・・・と思いましたね。嬉しかったです
 
思い返してみれば、私は七之助の女房役を観るのは初めてでした。か弱いイメージがありましたが、なかなか堂々とした女房ぶりで、大人の女の色気も感じられて、あー、こういう役も出来るようになったんだ・・・と驚きました。で、美しかったです♪これ大切なことですね(笑)
 
声を聴いていると福助さんと錯覚しそうなぐらい似てましたが、叔父甥の近しい間柄ですから当然かもしれません。芝居のリズムや舞踊のリズムというのは持って生まれたところが大きいですが、七之助は今後化けそうな予感がします。というか確実に爆発するでしょう。貴重な女方です。頑張って欲しいです。『葛の葉』や『吃又(おとく)』を七之助でぜひ観たいなぁと思いました
  • 2009/02/07 (Sat) 16:46:22
二、源平布引滝 実盛物語(さねもりものがたり)
■あらすじ ※あらすじは松竹HPよりコピーしています
 
 平家の侍でありながら、源氏に心を寄せる斎藤実盛は、木曽義賢の妻葵御前が身ごもっていることを聞いて、腹中の子が男か女かを瀬尾十郎と共に詮議に来ます。実盛は一計を案じ葵御前が生んだのは女の腕だと告げて瀬尾を帰し、葵御前は無事男の子、のちの義仲を生みます。
 情智を兼ね備えた武将の役の鬘の名称から、“生締もの”と言われる作品の代表作です。荒唐無稽な要素が多いながらも、理屈を離れて歌舞伎のおもしろさが堪能できる作品です。勘太郎が初役の実盛を颯爽と演じ、男女蔵が瀬尾十郎、亀鶴が葵御前を勤めます。
 
------------------------------------------------
 
「実盛」は立方の大役であり、貫禄・風格・肚の太さ・説得力など全てに技量が求められる重たい役どころです。通常の大歌舞伎では座頭格の役者が演じる役になります
 
それにしても親子というのはこれほどまで似るものなのかと感心しますが、実盛の勘太郎は、若い頃の勘三郎を観ているようでした。姿・声・顔、目の使い方、頭を傾ける時の角度、思わず微笑んでしまうぐらいそっくりです(笑)。私は現在の勘三郎がまるで先代と重なって見えるのですから、歌舞伎の人たちの血というのは凄いもんだな・・・と思います
 
さて勘太郎ですが、ややおとなしめでしたが、これほど爽やかな実盛を観たのは初めてかもしれません(笑)。それでいて落ち着いていてゆったり(ココ重要です)、ある種の風格も感じられました。部分的にイッパイイッパイになったようですが、慌てることなくよく勤めたんじゃないでしょうか。とても良かったと思います。このような役に挑戦し、その初役を観れたことは私にとって大きな喜びとなりました。実盛を演じられる役者はほんの一握り。これから先、何度も演じていずれは自分のものにして欲しいと思いました
 
この芝居で最も重要な箇所は『物語(ものがたり)』です。物語というのは時代物には付き物で、実盛が事の顛末を糸に乗せて語り上げるところであり、ツケ打ちも入って一番盛り上がるところです。実盛の物語によって、悲嘆にくれた人々を「そういうことなら悲しいけれど責められない、仕方がない」と納得させなければなりません
 
『糸に乗る』というのは、竹本連中の義太夫節、三味線の音に乗せて唄うように語るセリフで、太夫の語りと部分的に割りゼリフ、または重なります。この芝居の竹本は三回交代します。最初は上手上段で黒御簾越しに、その次はぶん回しで出語りとなります。物語が始まる直前に、ぶん回し(舞台上手のぐるっと回る台のこと)が回って、三回目の竹本連中と交代すると、物語への期待感でこちらの緊張感もグッと増してきます。そしてぶん回しを見て驚いたのですが、三回目の竹本で三味線を持つのは、かつて文楽で名人と呼ばれ、芸道を追及するあまり文楽を去った人でした。肝心の名前が思い出せなくて情けないのですが(汗)、こういう方が若手に付き合うとは・・・こちらにとっては思いがけない喜びであると同時に、勘太郎は相当厳しい稽古をつけられたであろうと想像しました
 
『糸に乗る』のは難しく、しかもただ単に乗せるだけではダメで、ベテラン役者でも時々上手く行かなかったりします。芝居の眼目ですので、ここをしくじると芝居全体が味気ないものになってしまいます。ハラハラしながら見つめてましたが勘太郎は巧かった。物語を終えたとき、ふぅーーーと大きく深呼吸してしまいました。私のほうが、です(笑)
 
  • 2009/02/07 (Sat) 16:49:05
三、蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)
■あらすじ ※あらすじは松竹HPよりコピーしています
 
 源頼光の館では病に伏せる源頼光を守護して坂田金時と碓井貞光が宿直(とのい)をしています。そこに頼光の命を狙う女郎蜘蛛の精が、お茶を運ぶ女童、薬売り、番頭新造、仙台浄瑠璃を語る座頭、と次々に姿を変えて現れ、ついには傾城薄雲太夫となって頼光の寝所に忍び入ります。宿直の二人が詰め寄ると、千筋の糸を投げかけ、姿を消すので、頼光らは後を追います。
 能の『土蜘』を題材とした変化舞踊の一つで、古風でありながらも視覚的な面白さを充分に堪能できる作品です。亀治郎が鮮やかな六変化を見せ、勘太郎の頼光に相対します。花形七人が勢揃いして賑やかな打ち出しとなります。
 
-------------------------------------------------
 
変化舞踊の代表格みたいな『蜘』ものです
芝居中に『ちちゅう』という言葉がよく出てきますがこれは蜘を意味していて、『蜘』という字を解体すると、『虫(ちゅう)』と『知(ち)』ですので、蜘のことを『ちちゅう』と言ったりするのです
 
今回の蜘は亀治郎(以下亀ちゃん)演じる女郎蜘蛛ですが、よくお目にかかる『土蜘』では化身の僧侶の名前が『ちちゅう(漢字忘れた・汗)』ですから、最初から『わたくし、じつは蜘の妖怪なんですよ~』と自己紹介しているのと同じです。いかにも歌舞伎らしいのですが(爆)
それと、花道七三(七三=揚幕から七分、舞台から三分の意味)にスッポンという穴が切ってあり、ここからせり上がって登場したり、引っ込んだりするのは、妖怪・妖術使い・亡霊・獣(動物の類)と決まっており、どんなに美しい格好の娘でも、このスッポンから出入りすれば、この世のものではないというお約束事です
 
三色の定式幕が開いたときに、舞台装置の一部として吊り下げられている幕をチョンパーといいまして、色つき無地の時もあれば模様入りの場合もあります。今回は大胆で斬新な蜘の巣を連想させるデザインでたいへん美しいものでした。こういう幕は初めて見たような気がするのですが、猿之助さんの舞台ではあったように思います。今回は若者たちのアイデアなんでしょうかね。とても良いと思いました。尚、この幕は直ぐに切って落とされ片付けられてしまいます。析(き)がチョンと入ったら、パッと振り落とされて片付けてしまうので「チョンパー」というわけです
 
結局なんだかんだ言いながら、今ノリノリの亀ちゃんが一番美味しいところをかっさらっていきました(笑)。息をつかさぬ早変わりは見事でみなさん大喜び。それに何といっても巧かったですねぇ。出入りもスッポンのみならず、上手に設えた常磐津連中の蛸足見台をよけたら下に穴が切ってあってそこへ飛び込んだり、上からぶら下がった縄(蜘の糸のつもり)に吊り上げられたりと大暴れでケレン味たっぷりの楽しい舞台でした
 
何度目かの出で花道に灯りが入ったので、見物はほとんど全員が後ろを振り向き、花道奥の揚幕を注目していたのですが、義経千本桜川連法眼館での狐忠信の出と雰囲気が似ていたので、私は「これはやるつもりだな・・・」と思い、舞台正面を見ていましたら、案の定、正面階段の隙間から亀ちゃんが転がり出てきました。想像通りでしたのでちょっとニヤニヤしてしまいました(笑)
 
妖怪変化ものなどで、芝居の最後の最後に荒事の『押戻(おしもどし)』というのが付く時がありまして、今回はこの『押戻』がありました。愛之助が演じました。より一層派手やかに豪華にしたい時にはこういうことをするのですが、この『押戻』をどう説明して良いやらちょっと困ってしまうのですが・・・
荒れ狂って大暴れの妖怪が花道へ逃げようとするのを、正義の味方よろしくスーパーマン的に極彩色で現れて、超人的な力で妖怪を本舞台に『押し戻して』鎮め、ついでに場内が沸くような面白いセリフを言ったりするのです
 
今回の押戻は小道具を持っていませんでしたが、たまに身長ぐらいある太い青竹を持っていたり巨大な鯉を脇にかかえてたりしますが、これは地面に広く根を張る青竹を素手で引き抜く、或いは巨大鯉を捕まえられるのは超人の証しであろう、というような意味合いです。まぁ荒唐無稽な話ですが、江戸時代の人はこういうことを面白がったんでしょうね
 
華やかさを全て集めたような舞台でとても良かったです
若いって素晴らしい。所作台を踏む音がまるで違いました。元気いっぱいです♪
劇場全体が揺れているようでした。というより実際揺れていました(笑)
 
今どきの若者、なかなかやります
機会がありましたら舞台の彼らをぜひご覧になってください
  • 2009/02/07 (Sat) 16:50:37
押戻
ちなみに押戻はこんな感じです

今回は、筋隈、仁王襷、頭は車鬢(くるまびん)で、左の写真に近いです
そして頭には力紙(白い紙で左右に張り出している=力の象徴とされる)をつけるという念の入れようで満艦飾でした(笑)
場内がワッと沸いたのは言うまでもありません

愛之助がこのような隈取が似合うとはちょっとビックリ。。。
立派なお顔してましたし、お約束の『連ね(つらね)』の長ゼリフ、声も姿も良かったですねぇ~(惚れ惚れします)

養父の片岡秀太郎さんは、女方に仕立てたかったようですが、本人を見ていると仁左衛門さんの線を目指しているようにも思います。私もそちらのほうがニンだと思います

昨年、秀太郎さんと愛之助のお茶会に出席しました。その折の話ですが、愛之助は関東の同年代の某役者と大の仲良しで気が合うらしく、東京にいる間中、プライベートでもピッタリくっついているそうなんですが、秀太郎さんはそれが気に入らないらしくて、愛之助はお小言をもらっていました。遊ぶ時間があれば稽古しろということなんでしょうけど、愛之助は恐縮しきりでかしこまって聞いておりましたが、
心配しなくても大丈夫・・・そんなふうに思います(笑)


  • 2009/02/07 (Sat) 18:54:33
Re: 芝居MEMO
2回読み返してしまいました (笑)

イヤホーンより詳しい!
何だか一緒に舞台をたのしんでる気分です。

約束事もとても参考になりました。
「糸にのる」
今度そういう場面があったら注目して観たいと思います。

昨年の正月、浅草歌舞伎での若手の舞台。
とても生きいきとして客席にも若さがふりそそぐような感じでした。
亀冶郎の巧さ、勘太郎の若さの中にある風格?
七之助のきれいなきれのある女形・・・
菊さんの評を読んでいて思い出しました。


今月は文楽「女殺油地獄」を観にいく予定です。
歌舞伎もまた行きたいな・・・。

  • さぼてんママ
  • 2009/02/09 (Mon) 13:13:58
ママさんこんにちは♪
長いのを読んでいただきありがとうございます♪
書いて良かった~と思いました(^O^)

「糸にのる」は、聞きどころであると同時に見どころでもありますので、これが分かると数段面白くなりますよ。「物語」はある種の陶酔感というか、歌舞伎味に溢れて気持ちよくなる場面でもあります(笑)

テレビ中継で副音声解説が入るときがありますが、たまに解説者が「(糸にのるのが)ああ、うまくいきましたね~」などと言ってる時があって、こんなベテラン俳優に対して・・・と思うとちょっと可笑しいですが、それだけ難しいということでしょうね

歌舞伎の約束事はいろいろありますが、これはどんな芝居にもありますので、何回かご覧になるうち、自然と理解できますよ。私自身、素人の芝居好きレベルですけど、折にふれて分かる範囲で発信できたらいいなと思います

>今月は文楽「女殺油地獄」を観にいく予定です。

わぁ~♪いいですね~
こちらは歌舞伎昼の部で「女殺油地獄」を愛之助と亀ちゃんがやっています。昨年だったかな(一昨年かも)海老蔵が足を怪我した時の代役が愛之助で、評判が良かったですよ。すっかり自分の役どころにしてしまったようです。獅童の「毛抜」も観たいのですが、お昼に時間がとれたら行こうと思います
おっと!七之助の「鷺娘」もありました(笑)


■黒子・後見について

舞台上の役者の世話をしたり、小道具を渡したりする人のことですが、黒尽くめで顔を隠している場合もあれば、大時代に鬘や裃で装束を調えてる場合もあります。これを「黒子」とか「後見(こうけん)」といいます。場面が雪なら白装束の雪子(白子)、海や水の時は青装束の水子というのもあります

歌舞伎は合理的な芝居ですので、不要になった道具は黒子がパッパッと片付けてくれるのですが、歌舞伎の「黒」は「無」を意味しますので、黒子が何かしていても、「何もしてない」「黒子はいなかった」ことにして観るのがお約束です。後見も同じくです

舞台上で死んで倒れたままになってる役者も黒子が片付けます。この時に黒い布を広げて、見えないように(実際は丸見え・爆)片付けます。なんとなくユーモラスな行為に見えますが、見なかったことにしてあげるのがお約束となっています(笑)

散らかりまくりの私の家に黒子がいたら良いのにな~といつも思います(爆)
  • 2009/02/09 (Mon) 14:05:58
今更ですが「五花十葉」
ブログタイトルにしている「五花十葉(ごかじゅうよう)」について。私が草花好きだからこのようなタイトルを・・・と思われているかもしれませんが、これは歌舞伎用語です。歌舞伎用語といいましても、この言葉をご存知の方はほとんどいらっしゃらないと思います(汗)

今から二百年前の享和元年(1801)に成立した狂言作者が書き残した劇作の作法書『戯財録(けざいろく)』の中に『五花十葉の伝』というのがあり、いわば劇構造の分析チャートで、一本の狂言の構成を図式化したものです。「筆者は戯曲の成り立ちを花咲き葉ひらくさまになぞらえた(矢内賢二氏著)」と解説書にありました

※以下は解説書より引用文
『そもそも職人的・感覚的なテクニックがなによりものをいう芝居の世界で、この作者は自分の知恵を文字に残して伝えようとした。たとえば外題(げだい)のつけ方、番附の書き方、執筆の分担について。季節に応じて配慮すべきこと、京・大阪・江戸の違いについて。戯曲の基本構造を成す「世界」と「趣向」についても述べている。』

なんとなく「五花十葉」という響きが好きで、厚かましいながらタイトルに拝借したのです。じつは商売に使っている屋号を二十年以上前に一度改名しているのですが、その時も世阿弥の「風姿花傳」の一節から文字を借りました。
取引先からは「いったい何屋かワカランぞー」と不評でしたが強引に(笑)


写真は「戯財録 天・地・人」と「五花十葉の伝」です
  • 2009/02/18 (Wed) 00:45:12
Re: 芝居MEMO
ふ~む。深い意味があったのですね~~!

さすがに風姿花伝は知っていましたが、戯財録は
知りませんでした。
芝居でもなんでも、そこに身をおく者は
真に向き合わなければならないのですね。

ぼんやりの身としては・・・・・ふ~むデス
  • さぼてんママ
  • 2009/02/18 (Wed) 23:33:45
ママさん、どもども♪
それほど深く芝居を観てないし(笑)、どちらかといえば歌舞伎は軽くてお気楽な娯楽と思ってるのだけど、昔のものなどを読むと、現代に通じてるので面白いな~と思ったりします


「秘すれば花なり秘せずば花なるべからず」は、世阿弥「風姿花伝」の有名な一節だけど、『観客が予想もしない演出こそが驚きと感動を生む。しかしそれを悟られると演出の効果は失われてしまう』というのは、芸上達の指南書であるとともに、全ての物事に当てはまるような気がします

世阿弥はこの中で『本当に伝えたいことをあえて秘す』と言っていて、禅問答のようだけど含蓄があって面白いですね。最近は何でもストレート過ぎて情緒がないから(笑)
  • 2009/02/19 (Thu) 00:53:44

返信フォーム






プレビュー (投稿前に内容を確認)